2018/10/09 12:38
曽良の随行日記に「壬生より半道ばかり行って、吉次が塚、右の方20間ばかり畠中に有」と書いてあります。当時とそのまま畑の中にぽつんと忘れ去られたように建っています。
今の壬生街道(352号線)からだと数メートル程度しか離れていないので、少し路がずれていたのでしょうか?
我々の世代では大河ドラマ、「義経」で懐かしく思い出しますね。
2018/10/09 14:19
楡木の追分交差点。日光例幣使街道と合流します。
例幣使とは朝廷から東照宮へ捧げる御幣を携えた使いのことだそうで、その使者が行きに通る路だそうです。例幣使には色々なエピソードがあり、「ゆする」の語源が例幣使に由来するとか。